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保土ヶ谷の紹介保土ヶ谷区のご紹介


保土ヶ谷区は横浜市のちょうど中心あたりに位置します。東海道五十三次の宿場町としても有名で街のあちこちに史跡が点在します。

比較的狭いエリアに史跡がたくさんかたまっていますので日帰りでも十分に歴史めぐりの散策が楽しめ、多く人達がこの地を訪れます。
県立保土ヶ谷公園野球場では春、夏全国高校野球の神奈川大会の開催会場として、地元のテレビ神奈川にてTV中継されます。横浜市民のみならず、神奈川県民にとってもなじみの深い場所です。
横浜市保土ヶ谷区の花は すみれ で、
横浜市保土ヶ谷区の鳥は かるがも です。
横浜市保土ケ谷区は、昭和2年10月1日に区制が施行されました。
区名は、古くから東海道の宿場であった保土ヶ谷になじんで命名されました。
慶長6年(1601)に東海道の宿駅の制度が設けられた際に保土ヶ谷宿が発祥し、花のお江戸から数えて4番目の宿場町として栄えました。
三方を小高い丘に囲まれ、山すそに切れ込んだ谷戸ごとに寺があるという静かなたたずまいでした。
今も当時のたたずまいを感じさせる本陣跡近くは、保土ヶ谷の宿場街の中心になります。
当時は現在の相鉄本線天王町駅付近まで海が入り込んでいたと伝えられており、帷子川(かたびらがわ)の河口付近は交通の要所であったとのことです。
横浜市の中央部にある保土ケ谷区は、多摩丘陵の南東の端にあり関東ローム層の上にあります。
丘陵の間を帷子川や今井川が流れ、それらに沿って東海道(国道1号)、八王子街道(国道16号)、東海道本線、横須賀線、相鉄本線が通っています。
保土ヶ谷区には東海道、金沢道、かまくら道、八王子街道などの数々の古道があります。
明治に入って鉄道が建設されるとともに宿場町はさびれました。現在の相鉄線天王町駅近くサティのある辺りに大正初期から帷子川沿いに工場が進出し、大きな工場群がありました。しかし、関東大震災によりそこで働いていた男女多数の職工さんたちが犠牲になりました。
相鉄線の上星川の東光寺には「関東大震災受難者之墓」建立されています。
関東大震災後工場群のかわりに住宅地化が進みました。
第2次大戦後は急速にベッドタウン化し、昭和20年代後半から市民病院、浄水場、ごみ処理場などの横浜市民の生活を支える都市インフラ施設が建設されました。
現在では星川・天王町の工場跡地に保土ヶ谷横浜ビジネスパークと呼ばれる大規模な業務系ビルや高層住宅が建設されています。
横浜市市民局発行の「横浜の町名」によりますと、次のように記述されています。
保土ケ谷区の町名は、星川、今井町、仏向町のように古代から記録のある地名に因む町名が多く、その後の新田開発や東海道の発達によって形成された新しい町や、町村合併に因む町名など多種多様なものがあります。また、桜ケ丘、初音ケ丘、霞台、月見台、花見台など昭和初期に命名された高所地名の「はしり」と考えられるものがあります。
【 横浜市保土ヶ谷区の総面積 】
総面積 (平成16年10月18日現在) 21.81 平方キロメートル
市街化区域の割合 74.94 %
【 横浜市保土ヶ谷区の平成19年3月1日現在の人口 】
総数 男性 女性
平成19年3月1日 204,199 102,494 101,705
平成16年1月1日 205,276 103,252 102,024
【 平成17年1月1日現在の年齢構成比 】
65歳以上 17.8% 15.7% 20.0%
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